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大阪地方裁判所 昭和43年(わ)2537号 判決 1973年3月01日

被告人 福島忠

大六・八・一四生 日本鏡板工業会専務理事

主文

被告人を懲役一年に処する。

ただし、この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(被告人の経歴)

被告人は、関西大学専門部法科を卒業し、兵役に服するなどした後、公団職員、会社事務員、療養生活等を経て昭和三六年八月、当時の大阪府議会議員中山太郎が専務理事をしていた社団法人日本鏡板工業会に事務員として就職し、同三九年中山太郎の推せんにより、その後を継いで同工業会専務理事になり、同四一年四月から中山太郎の推挙により大阪勤労者住宅生活協同組合理事長をも兼務し、そのかたわら同三八年から中山太郎後援会の会計責任者として、中山太郎の私設秘書奥野昭子の補助を得て同後援会の会計業務を処理していたものである。

(本件犯行に至るまでの経緯)

中山太郎は、元参議院議員中山福蔵、元衆議院議員中山マサの長男で、昭和三〇年自由民主党所属として立候補して以来、大阪市生野区から連続して大阪府議会議員に当選するうち、衆議院への進出を目指すようになり、同三〇年頃から生野区を中心に組織してきた中山太郎後援会の対象を生野区を含む衆議院議員の選挙区に拡大して同四二年一月施行の衆議院選挙に出馬しようとしたが、自由民主党内外の事情から出馬断念を余儀なくされ、止むなく大阪府議会議員をしながら次期衆議院選挙を待つていたところ、自由民主党は同四二年一二月一五日に翌四三年七月施行の参議院議員通常選挙大阪地方区における同党公認候補者として当時現職議員であつた中山福蔵に代え中山太郎を決定した。

公認決定を受けた中山太郎は、直ちに立候補準備に着手し、公認決定の夜、過去に選挙運動の経験のある久野喜四郎に中山太郎後援会の組織拡大につき協力方を依頼したうえ、翌四三年一月から五月にかけて、それまでは被告人に加えて中山太郎の秘書藤坪(旧姓筒井)孫一、同奥野昭子の三名で事務を処理してきた中山太郎後援会に頓戸勇、一色貞輝、橋本敬親、黒田智郷、仲堅三郎等を職員として迎え入れ、その他数名のアルバイトを雇い入れ、同後援会会員を大阪府下一円に拡げるべく、久野喜四郎が自由民主党員である大阪府議会議員、同府下の各市議会議員等を歴訪して、中山太郎公認報告書、中山太郎後援会入会申込書用紙(昭和四四年押第四二八号の二四―一六はこれと同種)、「中山太郎素描」(同号の二四―二七はこれと同種)、中山太郎の写真入りカレンダー(同号の二四―三〇はこれと同種)等を持参配付し、あわせて中山太郎後援会事務所の看板を設置(数日後に大阪府選挙管理委員会から撤去命令が出て撤去)するなどしたほか、同後援会職員によつて、右入会申込書用紙、「中山太郎素描」、さらには中山太郎氏名入り年賀電報、同写真入り成人の日祝賀はがき(前同号の二四―六はこれと同種)、中山太郎後援会規約説明書(同号の二四―二三はこれと同種)、中山太郎をはげます会設立委員要請状(同号の一〇はこれと同種)、医系関係者への同上要請書(同号の二四―一八はこれと同種)、医系関係者に対する中山太郎後援会発起人要請書、生野高校中山太郎後援会入会申込書用紙(同号の二四―一五はこれと同種)、「中山太郎は医系議員として何をしたか」と題するパンフレツト、中山太郎選挙対策委員委嘱状(同号の二四―一四はこれと同種)、その他各種会合案内通知等(同号の二四―一、二、一七および二八並びに同号の九はいずれもこれと同種)を関係方面に多数発送ないし持参し、また、中山太郎後援会職員も関与して、同四三年三月一六日大阪国際ホテルで「中山太郎を激励する会」、同年六月一一日大阪御堂会館で中山太郎後援会総決起大会がそれぞれ開催されたほか、同年五月初め頃から同月末頃までの間、約四〇回にわたり府下一円で中山太郎との対談方式による地区座談会が開かれた。その間、中山太郎後援会の事務所も設立当初は大阪市生野区勝山通り九の七二番地の中山太郎の当時における自宅にあつたが、同四三年一月頃同市西区南堀江一丁目第二好陽ビルに移転し、新たに同年四月六日同市南区八幡町六の一に併設され、この新設事務所が同年六月一三日の参議院議員通常選挙公示と同時に中山太郎選挙事務所となつた。

また、被告人のほか、前記久野喜四郎、頓戸勇、一色貞輝、橋本敬親、黒田智郷および仲堅三郎らは、公示後も引き続き右選挙事務所に出入りし、

久野喜四郎において、総務関係事務の責任者として、各種選挙活動についての助言・問合わせに対する回答、選挙事務所に出入りする一般有権者に対する投票並びに投票取りまとめの依頼、選挙ブローカーに対する応接等の選挙運動に従事し、

頓戸勇において、選挙用推せん葉書関係事務の担当者として、大阪府・市議会各議員等に宛名書きを割当、依頼し、あるいは、労務者に右葉書の宛名書き、発送の仕事を指図し、これに関する連絡・調整のほか、選挙管理委員会への届出等の選挙運動に従事し、

一色貞輝において、個人演説会関係事務の担当者として、同演説会場の選定交渉、大阪府・市議会各議員等に対する折衝および連絡、候補者の演説計画の円滑な運営、日程表の発送、選挙事務所に出入りする一般有権者に対する投票並びに投票取りまとめの依頼等の選挙運動に従事し、

橋本敬親において、街頭演説関係事務の担当者として、演説すべき場所の選定、大阪府・市議会各議員等に対する連絡・依頼、選挙運動用自動車の運行計画の円滑な実施等の選挙運動に従事し、

黒田智郷において、個人演説会関係事務の担当者として、大阪府・市議会各議員等に対する連絡、演説地区の選定、会場の借入交渉、個人演説会場における候補者の登壇時刻・演説時間等の打合わせ等の選挙運動に従事し、

仲堅三郎において、選挙管理委員会に対する届出、一部開票立会人の選定、労務者の管理、選挙運動用自動車の配車、選挙用ポスターの掲示計画事務、電話による一般有権者に対する投票依頼等の選挙運動に従事した。

(罪となるべき事実)

被告人は、同四三年七月七日施行の参議院議員通常選挙(以下「本件選挙」という)に際し、同年六月一三日大阪地方区から立候補して当選した中山太郎の選挙運動者で、かつ右選挙が同月一三日に公示されて以後、同候補者および同候補者の出納責任者である飯田健次とそれぞれ意思を通じて、同候補者のため選挙運動に関する支出の金額のうち、大阪府選挙管理委員会が公職選挙法一九六条の規定により告示した額である六三〇万円の二分の一以上に相当する四百万円以上の額を支出した者であるが、いずれも同候補者に当選を得させる目的をもつて、同候補者の前記選挙事務所において、

第一、同年六月一二日、同候補者の選挙運動者である前記久野喜四郎、頓戸勇、一色貞輝、橋本敬親、黒田智郷および仲堅三郎の六名に対し、同候補者のため今後、選挙運動をすることの報酬としての趣旨も含めて各現金一万円をそれぞれ供与し、

第二、一、同年六月二五日頃、いずれも、奥野昭子を介し同候補者のため前記選挙運動をしたこと、また今後も選挙運動をすることの報酬としての趣旨も含めて、前記久野喜四郎および頓戸勇に対し各現金五万円、黒田智郷および仲堅三郎に対し各現金四万円、一色貞輝および橋本敬親に対し各現金三万円をそれぞれ供与し、

二、同年七月三日頃、右同趣旨のもとに、前記頓戸勇、一色貞輝、橋本敬親、黒田智郷および仲堅三郎の五名に対し各現金五万円をそれぞれ供与し、前記久野喜四郎に対し現金七万円の供与の申込をし、

三、同年七月八日頃、いずれも奥野昭子を介し、前記選挙運動をしたことの報酬としての趣旨も含めて、前記一色貞輝、橋本敬親、黒田智郷および仲堅三郎の四名に対し、各現金一万円をそれぞれ供与し、

四、同年七月九日頃、右同趣旨のもとに前記頓戸勇に対し、奥野昭子を介し現金一万五千円を供与し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人および被告人の主張に対する判断)

一、現金一万円を供与した日

検察官は被告人が現金一万円あてを供与したのは昭和四三年六月一三日であると主張するのに対し、弁護人らはその前日の一二日であると弁解するところ、被告人は捜査段階で六月一三日であつた旨供述し(検察官に対する43・8・8付供述調書ほか)、久野喜四郎(43・8・10付)、頓戸勇(43・8・17付)、一色貞輝(43・8・5付)、橋本敬親(43・8・13付)、黒田智郷(43・8・19付)、仲堅三郎(43・8・29付)等の受供与者も検察官に対し六月一三日である旨具体的に供述し、その一部の者は公判廷においても同様の供述をしている。また、公判段階になつて、被告人をはじめ、一色貞輝(第四回公判調書)、黒田智郷(第七回公判調書)、仲堅三郎(当裁判所の同人に対する証人尋問調書)、橋本敬親(第五回公判調書)等の証人はいずれも前供述を翻して六月一二日である旨供述するけれども、これら公判段階の供述は、金員授受の状況等につき捜査段階の供述と比較して抽象的であるばかりか、供述変更の理由についても首肯し得るだけの具体的説明がなく、また誘導的尋問に答えたものもあつて、その真実性を肯認するには、いささか躊躇せざるを得ない。

しかし、前記六月一三日とする供述には、本件選挙の公示された六月一三日に選挙活動に関する各人の分担が発表され、しかる後に現金一万円あての供与がなされたとするものが多いのであるが、この分担発表のなされたのが六月一三日ではなく、一二日であるとする証拠もすくなくなく(被告人、一色、仲、奥野、塩川の供述等)、分担発表が本件選挙の公示後になされることの不自然さに鑑みれば、ただちに右の一二日であるとする供述を否定し去ることもできない。そうすると、本件立証の程度をもつて、分担発表は六月一三日になされたものとし、ひいては一万円あての供与も六月一三日であると認定するについては、なお一抹の合理的疑が残るものといわざるを得ない。

しからば、現金一万円あてが供与された日は、確証がないものの、被告人に有利に六月一二日と認定するのほかなく、弁護人らの主張は結局理由がある。

二、公職選挙法二二一条三項三号の適否

弁護人は、本件選挙の出納責任者は名実共に飯田健次であつて、被告人は同人もしくはその不在中に監督を代行した選挙事務長塩川正十郎の指示・命令に従い、同人らと現実に選挙運動費用の支払を担当した奥野昭子との間に立つて、主として支出に当てるべき現金を保管するなど支出に関する事務を補助者として機械的に担当処理したに過ぎないから、被告人は公職選挙法二二一条三項三号にいう「当該公職の候補者のための選挙運動に関する支出金額のうち第一九六条の規定により告示された額の二分の一以上に相当する額を支出した者」に該当しない旨主張する。

しかし、前掲各証拠(略)を綜合すれば、前記飯田健次は、中山太郎の遠戚に当り、同人の両親の選挙に際し出納責任者として届出されてきた者で、本件選挙当時は幸福相互銀行事務センター課長代理の職にあつたが、本件選挙の公示数日前、中山太郎の妻ハナ子から勤務先に「実務の方は被告人に見て貰うから出納責任者として届をさせて欲しい」旨の電話があり、結局この申入れを承諾したこと、他方、被告人は、前示認定のように中山太郎後援会の会計責任者で、同人の大阪府議会議員選挙でも出納事務を担当したことがあつたが、本件選挙の公示数日前、中山太郎から直接「今度の選挙では飯田健次が出納責任者になつたが、同人は銀行に勤めていて仕事が忙しいので、君の方で会計は全部やつて欲しい」旨依頼を受けて承諾したこと、被告人は、飯田健次と以前からの知合で、公示前日の六月一二日に同人へ電話して、相談のうえ、選挙運動資金を飯田健次名義で三菱銀行南大阪支店に預金することを決めたが、その際、これに使用する印鑑について、同人から三文判でも買つて使うよう依頼されたので、この依頼からも出納は一切自分に委されたものとして、大丸百貨店大阪店で「飯田」の有合わせ印を買い求めたうえ、翌六月一三日右支店に飯田健次名義の普通預金口座を開設し、その預金通帳と印鑑も被告人において保管し、本件選挙の終了後、残余の現金と共に飯田健次に手渡し、さらに同人から中山ハナ子に渡されたこと、飯田健次は、勤務の都合で、従前の選挙の場合と同様に本件選挙に際しても、直接金銭の収支に関係したことはもとより、個々の支出につき相談、承諾、指示等を与えたこともなく、選挙期間中も、四、五回、主として土曜日の午後六時以降頃に、一回につき三〇分ないし一時間程度、選挙事務所に立ち寄り、選挙運動費用に関し、被告人から収入面の報告を受け、また支出について費用の見通しなども交えて被告人と話合つたことはあつたが、それも雑談的なものであつたこと、被告人は、中山太郎後援会の会計補助者である奥野昭子と共に選挙運動期間中、連日選挙事務所に出て選挙の出納事務を担当したが、資金の保管については、中山太郎、中山ハナ子、塩川正十郎その他から受取つた現金等のうち五五〇万円を前記普通預金口座に入金し、残額の約一二〇万円は支出が法定費用の六三〇万円を越えた場合の資金に当てようと判断して、現金のまま手許に保管し、自らが必要と判断した都度、右預金を引き出し、右保管の現金とあわせて、その中から支出に充当していたこと、選挙運動の費用に関する支出については、被告人は、中山太郎後援会の会計における支払方法とほぼ同様に、大口の支払につき、被告人が直接支払うか、その都度、金額と支払先を決めて現金を奥野昭子に手渡し、同女から支払つたほか、小口の支払については、あらかじめ五万円か、これを越える程度の現金を同女に手渡しておいて、同女の判断で支払わせるのが通例で、同女が支払つた場合は事後その報告を受け、領収証を点検していたこと、このようにして、被告人は本件供与の金額を除きすくなくとも約一六〇万円余を直接支払つたが、その余は奥野昭子の手から支払われたこと、被告人は、選挙管理委員会に報告すべき選挙費用の支出額を実際より低目にしようと考え、奥野昭子に指示して、事務員や労務者に対して支払つた日当の額につき、日額一〇五〇円を支払いながら七〇〇円しか支払つていないように、また、食事代の差引がないのに差引いたように見せ掛けて、その旨それぞれ報酬精算書に記載させるなどの操作をしたり、ポスター貼りの費用につき人夫賃のほかに車代も支払いながら車代の領収証を焼却するなど報告額を越える領収証を選り分けて隠匿・処分したこと、選挙管理委員会に提出する選挙運動に関する収支報告書の作成は、主として、被告人が中心になつて行つたが、飯田健次も選挙管理委員会から注意を受けたので、同年七月二一日頃の午後から夜にかけて、その作成に関与したこと、被告人は、本件が発覚したことを察知するや、自ら中心となつて口止め等の罪証いんめつ工作を行つていること等の各事実が認められる。

右認定の諸事実によれば、飯田健次が出納事務に無関係な単なる名義上の出納責任者に過ぎないとはいえず、また、公職選挙法二二一条三項三号所定の支出の概念が補助者による支払を含む趣旨であると解されるにしても、飯田健次による支出承諾書も作成されていない本件においては、被告人が中山太郎の本件選挙運動につき、その出納を支配し、支出の実権を有し、自ら支出主体として当該費用を支出するについて責任を負担していたものであることは明らかである。また、奥野昭子は、被告人の指示に従い右出納事務の補助者として支出その他の事務に関与したものと解すべきであるから、結局、被告人は、本件選挙運動費用の出納事務につき事実上、責任者の地位にあり、かつその職務を遂行したものであることが認められ、このような地位と職務権限に基づき判示認定の選挙運動費用を支出した被告人は、公職選挙法二二一条三項三号所定の告示額の二分の一以上に相当する額を支出した者に該当すると解するのが相当である。

そして、公職選挙法二二一条三項三号にいう「意思を通じて」とは、当該二分の一以上の支出につき個別的に候補者または出納責任者から支出権限が付与され、または、了解のあつた場合等のほか、当該支出につき包括的に権限ないし地位を付与された場合を含むものと解するのが相当である。本件において、被告人は中山太郎または飯田健次からすべての支出につき個別的に了解を受けていたのではないが、前記認定の事実関係からしても、被告人の前記出納事務に関する責任者としての地位と支出権限が候補者である中山太郎自身によつて設定され、飯田健次により承認されたものであることは明らかであり、しかも飯田健次は選挙事務所を数回訪ねるなどして、被告人との意思の連絡を強化しているのであるから、本件支出は候補者および出納責任者と意思を通じてなされたものと認定するのほかはない。

弁護人の主張は理由がない。

三、供与罪および供与申込罪の成否

被告人および弁護人は、本件において久野喜四郎、頓戸勇、一色貞輝、橋本敬親、黒田智郷、仲堅三郎ら六名(以下「久野ほか五名」という)に供与または供与の申込をした金員の趣旨につき、選挙運動の報酬としてではなく、中山太郎後援会職員の会計から同会の職員に対する給料、賞与、交通費、夜食代として支給したものである。すなわち、同後援会の活動内容は中山太郎の当選を直接の目的とした選挙運動ではなく、純粋の政治活動であるうえ、久野ほか五名の仕事も同後援会の組織の拡大強化にあつたに過ぎないから、後援会が久野ほか五名に支給する給料等が選挙運動の報酬となることはあり得ず、本件選挙の公示後も雇傭関係が継続している以上、公示後の久野ほか五名の仕事は実際は選挙運動に関するものであつても、後援会が同人らに給料等を支払うべきは当然である。また、久野ほか五名は後援会職員の立場から労務者ないし事務員として、機械的に選挙運動を手伝つたに過ぎないから、いずれにしても、久野ほか五名に支払われた給料等が選挙運動の報酬となることはあり得ない旨主張する。

(一)  まず、公職選挙法にいう選挙運動とは、特定の候補者に当選を得しめるため投票を得若しくは得しめる目的をもつて、直接または間接に必要かつ有利な行為をすることをいうものと解するのが相当である(最決昭和三八年一〇月二二日刑集一七巻九号一七五五頁等参照)。本件において、被告人が供与の対象とした久野ほか五名が本件選挙の公示後に従事した仕事の内容は前記認定のとおりであり、これが単純な機械的労務でないことは一見して明らかであるばかりか、前掲各証拠によれば、久野喜四郎においては、判示のような経緯で中山太郎後援会活動に関係してきたもの、頓戸勇においては、かねて中山太郎と交際があり、以前に大阪府守口市議会議員を勤めたこともあるが、自由民主党の大阪府議会議員橋本親義のあつ旋で後援会活動に関係するようになり、その担当した選挙用推せん葉書の仕事も、判示認定のとおりであつて自らが宛名を書くというような単に機械的・労務者的なものでなかつたこと、一色貞輝においては、中山太郎の友人で自由民主党の大阪府議会議員一色貞一を父に持ち、政治家を志して勤務会社を退職したもので、中山太郎から直接依頼され、選挙活動の見習をも兼ねて後援会に関係し、待遇等を不満として公示直前の六月五、六日頃、中山ハナ子に辞意を表わしたが、選挙が済むまではと頼まれて選挙活動に従事したもの、橋本敬親においては、中山太郎の友人で自由民主党の大阪府議会議員橋本親義を父に持ち、中山太郎から直接依頼を受けて、家業手伝のかたわら後援会に関係したものであるが、仕事に嫌気が差して辞意を表わし、公示の数日前から休んでいたところ、中山ハナ子に頼まれ、選挙が済むまでということで選挙活動に従事したもの、黒田智郷においては、勤務会社を辞め独立して事業を始めるべく準備中、近隣に住む自由民主党の大阪府議会議員青木志郎に勧められて後援会に関係するようになり、公示前、すでに久野喜四郎の依頼を受けて大阪府下全域にわたる街頭演説・宣伝コースを立案するなどしたが、給料を不満として公示直前の六月始め頃から辞めるつもりで休んでいたところ、懇請されて一応選挙が済むまでということで選挙活動に従事したもの(第二八回公判調書中黒田鶴子の供述部分)、また仲堅三郎においては、警察官在職当時の部下であつた自由民主党の大阪府議会議員吉村鉄雄の依頼を受けて後援会に関係するようになつたが、勤務の開始が公示の前月の五月であつたため、同人の供述によつても、すでに選挙ムード一色という後援会事務所で仕事に携わり(同人の検察官に対する43・8・28付供述調書)、引き続いて選挙活動に従事したものであることなどのほか、久野ほか五名について公職選挙法一九七条の二第四項所定の届出がなされていないことなどの諸事実が認められる。そして、以上認定の諸事実に照らせば、判示のような久野ほか五名の公示後の活動が公職選挙法二二一条の適用において選挙運動に該当し、同人らが選挙運動者であることは、多言を要せずして明らかである。

弁護人らは、中山太郎の本件選挙運動が自由民主党大阪府支部連合会選挙対策本部の主導により、主として同党の大阪府・市議会の各議員および同連合会青年部々員によつて推進された旨主張するが、証拠上このような事実が認められるとしても、これによつて久野ほか五名が選挙運動者であるとの前記認定が左右されるものではない。

(二)  つぎに、各金員供与および供与申込の趣旨につき個別に検討する。

(1) 六月一二日供与分

被告人および弁護人は、後援会職員に対する交通費、夜食代の各一部として支給されたものであり、仮にそうでないとしても、公示前の選挙運動の実費として支給されたものである旨主張する。

しかし、被告人の公判段階における供述によつても((証拠略))、久野ほか五名が後援会活動に関係して以来、後援会において、職員等に対し給料のほかに交通費、食事代等が別途・一律に支給されるとの約束はもとより、その事例もなく、本件選挙の公示直前になり、久野ほか五名を含む後援会職員等の選挙運動の分担が決定された後、初めて本件の各一万円が手渡されるに至つたもので、しかも、この授与は各人の通勤および夜食等の事情を全く調査することなく一率になされたものであることが認められるうえ、殊に、被告人(43・8・8付)、久野喜四郎(43・8・10付)、頓戸勇(43・8・17付)、一色貞輝(43・8・5付)、橋本敬親(43・8・13付。記録三二一三丁以下)、黒田智郷(43・8・19付第二回)および仲堅三郎(43・8・29付第一回)の検察官に対する各供述調書等によれば、右各一万円が手渡された状況は、被告人において、無地の封筒に現金を入れ、毎月二五日の給料支払の場合と異なり、奥野昭子を介することなく、相手方に対し個別に直接手渡されたもので、もとより領収証は徴されておらず、また、趣旨、使途もなんら明示されず、受取つた側においても、これを被告人に確めることなく(証拠略)、なんら清算手続もなされていないことなどの各事実が認められ、また、被告人の弁解によつても(証拠略)、右各一万円は公示の直前になつて、休む人、辞めるという人が出て来たので手渡したというのであり、交通費を必要とする者に対しては、個別的に領収証を徴し奥野昭子を介して別途に支給されていること((証拠略))など以上の諸事情を綜合すれば、六月一二日に手渡された各一万円は被告人が検察官に供述しているように(特に43・8・8付)、公示後の選挙運動の報酬を含むものとして事前に供与されたものと認めざるを得ず、被告人および弁護人の主張は採用できない。

(2) 六月二五日、七月八日および七月九日各供与分

被告人および弁護人は、後援会職員に対する給料として支給されたものであり、支給の時期がたまたま選挙運動の期間中であつたからといつて、支給自体が違法となるものではなく、七月八日および九日各供与分についても、被告人において、選挙運動が済めば辞める意向があると聞いたので、七月分の給料を日割計算したうえ支給したものである旨主張する。

まず六月二五日供与分について、前掲各証拠によれば、久野ほか五名は、後援会活動をするようになつて以来、毎月二五日に定額の金員がその月分の給料の名目で支給され、その都度、中山太郎後援会あての領収証が徴されて来たことが認められ、本件の六月二五日分についても、それ以前のものと同様の方法で、被告人の手により奥野昭子を介し六月分の給料の名目で支給され、その旨の領収証も徴されていることが認められる。

また、七月八日および九日供与分についても、前掲各証拠によれば、一部に領収証の徴されていないものがあり、日割計算も正確に行なわれていないものの、おおむね、六月二五日分と同様の方法により、七月分の給料の名目で支給されたものであることが認められる。

他方、判示のとおり、久野ほか五名は公示の六月一三日から翌七月六日まで中山太郎の選挙運動に従事してきたものであるから、六月分および七月分の給料として支給された金額が選挙運動の報酬としての趣旨を含むものであることについては、一応首肯し得るものといえよう。

ところで、一般に、選挙運動に従事する者が選挙の期間中、他から別途に賃金、給料等一定の金員の支払を受けることは、その支払が選挙前から継続していた雇傭契約上の地位に基づき、同契約上の義務の履行としてなされたものであり、この対価として提供すべき給付の内容が選挙運動に従事することを本来の目的とするものでないときは、その金員は選挙運動に対する報酬として支払われたものと断定することはできない。

これを本件についてみるに、判示認定のとおり、久野ほか五名はすでに施行の確定していた本件選挙につき中山太郎の公認が決定してから、後援会活動をするようになつたこと、久野ほか五名のした後援会活動は判示のような内容のものであり、そのすべてが包括して選挙の事前運動に該当するとはいえず、また、個々の活動が直ちにこれに該当するかはさて置いても、それが来たるべき本件選挙の対策としてなされたものであることは右活動の内容に徴してはもとより、殊に、(証拠略)に照らしても明らかであること、久野ほか五名が後援会に関係するようになつた経緯は、久野喜四郎においては判示のとおりであるほか、その他の五名についても、中山太郎が本件選挙に出馬するから後援会を手伝つて貰いたいとの趣旨で依頼されて後援会の活動に従事するようになつたこと(証拠略)、とりわけ、一色貞輝、橋本敬親および黒田智郷については、前記認定のように、待遇、給料等を不満として公示直前に一たん退職を決意しながら当初の約定どおり選挙が済むまではと要請されて公示後の選挙運動に従事したものであること、さらに前掲各証拠によれば、中山太郎後援会を事実上主宰する者は候補者の中山太郎自身であり、久野ほか五名の採用はもとより、給料の額も中山太郎自身の意向によつて決定されていたことが認められるなど以上の諸事情を綜合すれば、久野ほか五名は、中山太郎による本件の選挙対策の一環として後援会職員に採用されたものであり、久野ほか五名が提供すべき給付の内容は、中山太郎の選挙運動に密接に関連したもので、特に公示後においては、中山太郎の選挙運動に従事すべきことが給付本来の内容として当然に予定されていたものと認めざるを得ない。

そして、以上のような事実関係のもとにおいては、たとえ本件金員が中山太郎後援会職員に対する給料として支払われたとしても、それが選挙運動に従事したことを含む期間の給料として支給されたものである以上、選挙運動の報酬を含むものとして供与されたものであることは明らかである。

加えて、被告人および久野ほか五名において、右のような事実関係ひいては供与の趣旨を認識しながら、あえて本件各金員の供与および受供与に及んだものであることは、(証拠略)によつて認められる。

被告人および弁護人の主張は採用できない。

(3) 七月三日供与および供与申込み分

被告人および弁護人は後援会職員に対する賞与として支給されたものであると主張するところ、たとえ主張のような趣旨で支給されたものであるとしても、支給の時期が投票日の数日前であつた点に鑑みれば、前記(2)で説示したと同様の理由により、選挙運動の報酬を含む趣旨で供与ないし供与の申込がなされたものであることは否定し難いといえる。

のみならず、右供与および供与の申込については、中山太郎後援会から給料の支給を受けていない前記奥野昭子も同じ七月三日に被告人から現金五万円を受取つていること((証拠略))、(証拠略)によれば、久野以外の五名に対しては、毎月の給料の額の多寡、勤務月数の如何にかかわらず、一律に五万円あての現金が授与されており、授与の状況も、被告人において、選挙事務所で誰もいない時に無地の封筒に現金を入れ、給料支払の場合と異なり、奥野昭子を介することなく、相手方に対し個別に直接手渡そうとし、また手渡されたもので、もとより領収証は徴されておらず、また趣旨、使途もなんら明示されず、各人各様に費消されたものであることが認められ、(証拠略)によつても、同人らは金員の趣旨を被告人に確めることなく、久野は受領を拒否し、他の五名は受領しているのであり、資金も被告人が選挙運動の費用に当てるため保管していた現金から支出されているのである((証拠略))。

そして、以上の諸事情を綜合すれば、本件の七万円と各五万円は、被告人が検察官(特に43・8・9付。記録三九五四丁以下)に供述しているように、選挙運動の報酬を含むものとして供与され、もしくは供与の申込がなされたものと認めるのほかなく、被告人および弁護人の主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為中、第一の各事実はいずれも公職選挙法二二一条一項一号に、第二の各事実はいずれも同法二二一条三項三号かつこ書きのほか、その一および二につき同条一項一号、三号、その三および四につき同条一項三号にそれぞれ該当するところ、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により刑および犯情の最も重いと認められる判示第二の二の久野喜四郎に対する罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で処断することとなるが、情状について検討すると、本件は選挙運動の報酬として六名に合計六十万五千円の現金を供与したほか、現金七万円の供与の申込をしたものであつて、選挙の公正を害する悪質な犯行というべく、殊に、判示第二の各犯行はいわゆる連座制の適用にもつながるものであり、被告人の刑責は軽視し得ないものというべきであるが、しかし一方、本件供与の金額の一部には、後援会活動に対する報酬の趣旨も含まれていると認められること、本件各供与等は被告人の独断によるものではなく、後援会関係者、選挙運動関係者の意向に副つたものであることは否定し難く、その責任を被告人にのみ帰せしめるのは酷であること、本件供与を受けた者のなかには、本件金員の受供与とは離れて熱心に選挙運動に従事したものもあり、本件供与が選挙の公正を害する程度はそれほど高次のものといえないことなど諸般の事情を綜合勘案して、被告人を懲役一年に処し、情状により刑法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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